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謹啓 皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、私儀、 このたび社団法人あゆみの箱会長を退任し、名誉会長に就任することといたしました。
会長在任中は、皆様の温かいご支援に支えられました事に、心より感謝をいたしております。
名誉会長に就任した後も、あゆみの箱の活動のために尽力を惜しまず、また、皆様からのご指導ご鞭撻も引き続きお願い申し上げます。
 なお、後任の会長には 中村メイコが就任いたしましたので、私同様ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
                           永世名誉会長   森繁 久彌

※名誉会長森繁久彌は平成21年11月10日に老衰のため逝去致しました。
 生前の皆様からの励ましに心からの御礼を申し上げます。

社団法人あゆみの箱は障害児(者)のために芸能人が始めた募金活動です。

社会福祉に関心を持つ人々を中心に、映画・演劇等の文化活動を通じて広く国民の協力を得て、乳幼児・児童・心身障害者・老人等の福祉の増進を図るとともに、わが国の社会福祉事業の発展に貢献することを目的としています。

その歴史は古く昭和38年に創立されました。

募金箱の名称は「あゆみの箱」と名付けられました。

この募金箱によって手足の不自由な子供たちが歩めるように

との思いがこもってます。

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[活動の始まり]

昭和38年当時、ワクチンの不足から全国的に小児麻痺が大流行した頃、映画監督の川島雄三さんが小児麻痺の後遺症で急逝されました。川島さんと親交のあった俳優の故・伴淳三郎さんは、川島監督に教えられていた心身障害児施設を訪ねました。そこで伴さんの目に映ったのは小児麻痺に苦しむ子供たちの姿でした。伴さんは「小児麻痺で苦しむ子供たちに光を当ててあげよう」と川島監督の墓前で誓いを立てたのです。
同じ頃、家族で募金活動を続けている俳優がいました。故・森繁久彌さんです。同じ仕事先で話し合った二人は意気投合し、手を取り合って奉仕活動を始めることになったのです。さっそく、大道具さんに撮影現場の残り木で募金箱を作ってもらい、役者仲間と、劇場や街頭、ロケに行く列車の中で募金を呼びかけたのが始まりです。
昭和40年春、伴さんと森繁さんはフジテレビの「小川宏ショウ」に出演し、募金が700万円になったこと、その募金で歩行器を購入し、全国120か所の施設に寄付することを発表しました。 募金箱の名称は、「この募金箱によって手足の不自由な子どもたちが歩めるように」との思いを込めて「あゆみの箱」に決定したことも発表し、その字体を公募しました。その結果、全国の応募の中から選ばれたのが今の字体です。
この字は当時、大分県別府市の県立養護学校整肢園校舎に在校していた小学校4年生の池田恵子ちゃんがクレヨンで描いた、力強い字体です。



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